shiinaの日記

生活記録

無為な哲学のような何か

 

 

 

 

視点を変えて生活してみると、私がこの世界に存在しているという論理的な理由はどこにもない事に
気が付いてしまった。

 




19年間歩んできた人生も、積み重ねられた思い出も、突然現れた見知らぬ人に
「今までの人生、全部嘘でした!」
と何故か愉快な顔をして言われ、プツリと消えてしまうかもしれない。


そんな事ある訳がないって?
でも、それを言い切れる論理的な確信は何一つない



もしかしたら私はもう死んでいて、ここは死後の世界だって
事もあるかもしれない。
いじめ・ブラック企業家庭内暴力....恐ろしい世の中だから、そうも思えてしまう。


神様は理不尽だよね、この国の人々が決めた「自由」とか「選ぶ権利」だとか、
酸素を吸い込んでしまった時点でもうその権利は存在しないに等しい、
子供は親を選べない。



裕福な家庭に育った子供は、不幸を知らない。

違う

知ることが出来ないんだ。


それはきっと与えられた価値観の計りが違うから。
幸せはどこまででも知ること、考えることさえ出来るのに、不幸だけはどうしても分からないよね。
そんな価値観の違いで「不幸」と言わざる得ない子供は
他人の幸福なんて知りたくなかったと嘆く、
「嘆く」というよりも「嫉妬」の方が正しいかもしれない。


けれど、それはお金の問題だとも言い切れない。
お金持ちだから幸福とは言えないし、貧乏だから不幸だとも言えない。
結局お金の問題じゃなくて愛情の問題なのかなぁと私は思う。



そんな事を淡々と電車の中で考えていると、
今私の目の前に座っている、私立の学校に通っている小学生の男の子は
果たして今幸せなのだろうか。
淡々とスマホをいじっている髪の長い大学生の彼女は、
パソコンを開いているサラリーマンは、
本を読んでいるお爺さんは、



私は.....?






まぁ、結論何を言いたいかというと、特にないんです。
ただ、いつも不意に考える事を適当に綴っただけで、


けれど、そんな中で考えついた事は、


どんなに賢い人間も、長く生きた人間も、
誰もそれを論理的に肯定する事は出来ないという事。
それはきっと、何においても、


だからもしかしたら、私は人間じゃないかもしれない。
そう思っても、誰もそれを否定する事は出来ない。


アダムとイブが存在し、人類が誕生した時点でこの世界は普通じゃないから。
何もかも自分の知識だけで判断するのはやめて、視野を広げてみよう
それが冷静に判断出来るようになったら、哲学者のように論理的に話すのはやめて、

個人的な信念として話がしたい。

 

 

貴方と話がしたいよ。

 

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